「教科書を読むだけの授業」をつまらない・退屈と思っていた人は多いはず。では、なぜ誰もが認める「教科書を読むだけ・説明するだけの授業」が存在し続けているのか?
これってたぶん「授業はそういうものだと思い込まされている」というのが最も大きな理由な気がする。そもそも、日本で、「教師が教科書を読む・説明する」スタイルの授業形式が一般的になったのは明治以降。江戸時代の庶民の教育機関だった寺子屋は、「お手本を渡されて各自が黙々と書き写す」形式(今の習字教室と近い形式)で、教師が「読む・説明する」比重は、今とは比べものにならないほど小さかった。それが明治になって、欧米の授業方法を取り入れた結果、「教師が教科書を読む」形式の授業が主流になったわけですね。
で、問題提起としては、「もしかしたら、ヨーロッパ生まれの授業形式は、日本人には合っていなかったのではないか? その結果、つまらないと感じさせる授業が氾濫することになってしまったのではないか?」です(つづく)。
ちなみに「教科書を読むだけ」の数少ないメリットは、「どんな教師でも授業ができる」ということですかね(これはメリットというべきではないかもしんないけど)。
]]>今の日本の学校教育の形はあくまでも1つの形にすぎないのに、そういう意識を持っている人が少ないような気がする。歴史的に見たり、他国と比べてみると、そのことがよくわかるんだけど(歴史好きで、海外の教育が研究テーマの僕だからですかね?)。今の枠組みだけでなく、もうちょっと広い枠組みで考えて見ると、いろんな教育方法が可能になると思うのに、なんかもったいないなぁと。
で、「自分の受けてきた教育が唯一の教育のカタチ」と思っている学生の考えを広げる時に効果的なのは、「きのくに子どもの村学園」のような自由学校の映像を見せること。これは効きます。
昔でもなく、他国でもなく、「今」の「日本」で「正式な学校」と認可されている学校で、こんな取り組みが行われていることに驚くみたい。「今の日本でもこんなことがアリなんだ」と。
「きのくに子どもの村学園」のことは、定期的にテレビでも取り上げられるし、それを観るのが一番話が早いでしょう(yotubeにもテレビ放送の模様がアップされてます)。この学校の特徴は、「子どもの自主性・興味関心を尊重し、子どもが嫌がることはやらせない」こと。そうなると、体験学習中心になりますね。イメージでいうと、保育園・幼稚園で重視されてる、子ども中心・遊び中心・体験中心のやり方を、小学校以降にも適用している感じでしょうか。
この学校を見てると、「これでいいじゃん」と思えてくるんですが、いかがでしょうか?
…ちなみに、僕は、自分の子どもをこの学校に行かせようかと本気で考え中です。教育理念に共感してるのもあるけど、共働きの立場からすると「小学校から寮生活」というのが美味しすぎる、という思いもあり^^; 「厄介なPTA」もないだろうし(笑。 …高い学費は頭が痛いですが。
]]>…こんなところでしょうか?他に何かあります?
個人的に最もタチが悪いと感じるのは5。なんでかというと、「つまらない授業を押しつけること」を「正しいこと」だと信じている論理だから。悪いことをやってるのに、それを正しいと信じていることほど救いようのないことはない。
…にもかかわらず、教師のなかに5の考え方を持っている人ってけっこう多いんですよね。これが気に入らない。極めて気に入らない。ってことで反論してみます(つづく)
]]>(1) つまらなくない授業なんて想像できない。(2) 楽しい授業なんて手間暇のかかることをする授業時間がない。(3) 楽しい授業をできるような優秀な教師が限られている。(4) 楽しい授業のような軟弱なものでは、受験に勝ち抜けない。(5) つまらない授業を我慢強く耐えることによって「忍耐強さ」を身につける必要がある(その忍耐強さは社会に出てから必要)。(6) つまらない授業を我慢したという自らの経験を正当化したい(楽しい授業でも良いんだ、と思ってしまうと、自分の苦しい経験の意味がなくなってしまう)。
…こんなところでしょうか?他に何かあります?
個人的に最もタチが悪いと感じるのは(5)。なんでかというと、「つまらない授業を押しつけること」を「正しいこと」だと信じている論理だから。悪いことをやってるのに、それを正しいと信じていることほど救いようのないことはない。
…にもかかわらず、教師のなかに(5)の考え方を持っている人ってけっこう多いんですよね。これが気に入らない。極めて気に入らない。ってことで反論してみます(つづく)
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