遠藤周作 (by ダックスフンド)

ダックスフンドさんから遠藤作品の感想をいただきました。『女の一生』や『深い河』を読み返したくなっちゃうような、気持ちが素直に伝わってくる感想なので紹介させていただきます。*引用ページは新潮文庫版のものです。


女の一生 一部・キクの場合


胸が熱くなりました。
目頭も熱くなり、今にも涙がこぼれそうでした。
しばらく、ボーッと放心状態でした。。。


正直言うと、最初『女の一生』を手に取ったときには、幕末・明治という時代と長崎の方言がなかなかとっつきにくく、全然ページが進まない・・・何を隠そう、この手の本はチョット苦手だったんです、私。。。だからちょっと読み始めたものの、なかなか物語の中に入っていけず、いつの日か本棚に戻されていたのです、『女の一生』。。。

でも、しばらくしてからまた読み始めてみると、自分でもビックリするくらいスラスラ読めて、あっという間に読み終えてしまいました。あんなに避けてたのに。。。笑

一言、「やられました」・・・。
キクの生き方、清吉の生き方。そして伊藤の生き方に。
読み進めれば進むほど、私は彼らの人生の中に入り込んでしまっていました。

キクは生涯を愛する清吉のために捧げました。それは決して幸せなことばかりではなく、それどころかつらいことの方が多かったでしょう。でも、私はキクの一生は、女性としてとても羨ましく思いました。愛する人のために生きて、愛する人のために死んだキク。いつも強く、まっすぐだったキク。キクは自分をよごれきってしまったと責めていたけど、彼女は誰よりも澄んでいて、とても綺麗の心を持っていたと思います。最後、聖母マリアがキクに言った言葉にもあったように、キクは一人の人のために自分の体を他人に与え、一人の人への愛のために生きたのだから。。。

そして、キクと同じくらい生き方に感銘を受けたのは伊藤の一生です。最初、切支丹を目の敵にし、数々の拷問を与えていた伊藤を私はとても憎く思いました。キクを苦しめ、キクが清吉のために働いて稼いだお金も着服し、そのお金で酒を飲んでいた伊藤のやり方が許せませんでした。

最初は、自分の欲望だけでキクを苦しめていたのかと思ったけど、少しずつ伊藤のキクへの思いが伝わってきて、私の伊藤への感情も変化していきました。キクをあのような形でしか愛せなかった伊藤が、権力では一番上だったかもしれないけど、一番弱い人間だったのかもしれないですね

キクが死んで数十年後、伊藤が清吉に真実と謝罪を告げるため、かつて切支丹である清吉を閉じ込め、拷問を与えた場所に清吉を呼び出しました。伊藤はそこで「ゆるしてくれ」と清吉に頭を下げたのです。そこにはかつての伊藤ではなく、数十年間自分の罪を責め続け、その罪を償うことに数十年間をかけてきたのであろう伊藤の姿がありました。伊藤は、キクが死んでから清吉に再会するまでの数十年間、ずっと自分の犯した罪に苦しんできたのでしょう。それは当然のことかもしれないけど、いくら苦しむことで罪を償おうとしても、ただ一人愛したキクへの愛は叶うことはない。「俺もあん頃、おん娘ば好いとったとばい」という伊藤の言葉に、私はキクが清吉を愛していたのと同じくらい、伊藤もキクを愛していたのだということを知り、胸が痛くなりました。

人を愛するということは同じでも、愛し方は人それぞれの形があります。
キクのように他人がなんと言おうとまっすぐに、自分の気持ちに正直に人を愛する、という形もあれば、伊藤のように愛する人を苦しめ、愛する人に恨まれることでしか人を愛せない、という形もあるのです。どちらかと言えば私は、伊藤の愛の形が一番切なく、悲しく、同情してしまいました。そんな伊藤も、最後の清吉の「キクの一生は無駄ではなかった」という一言で救われたのではないのでしょうか・・・?

どんな内容なのか分からないまま読み始めた「女の一生 一部・キクの場合」。最初はこのままもう読み終えることはないかもと思っていたけど、最後まで読んでみてよかったと思います

ダックスフンドさんの感想は以上ですが、遠藤作品をよく知るポワロさんから次のような指摘をいただきました。

伊藤のキクへの思いは本当に「愛」なのでしょうか?
「愛」とは相手の見返りを求めないものです。その人の為、愛する者のうえに本当の意味での幸福が訪れることを願って想い、行うのが「愛」だと思います。伊藤のそれは、・・・・?愛でしょうか?キクを好きな気持は「愛」ではなく、只の「欲」です。私はそのように解釈しています。でもそこにも、「欲」に溺れた人間にも悔い、改めようとする気持があればそこに救いはあるのだ、と、許されているのだ、と。そう遠藤さんは伝えたかったのではないのでしょうか?(by ポワロ)

伊藤の思いは「愛」ではなくてただの「欲」だ、という指摘は確かにそうかもしれませんね。「愛」と「欲」という言葉に分けて考えた方が整理はしやすいように思います(by むらさき)。



女の一生 二部・サチ子の場合


「ヘンリックはパンをその男にやった。男は目にいっぱい泪をためて「ああ、信じられない」とつぶやいた。ヘンリックができた愛の行為はこれだけだった。それでもヘンリックは愛を行った。」(p.268)

この一段落の文が私にとってこの本の中で一番胸が熱くなったところです。
第二次世界大戦の真っ只中、ナチスに捕えられたヘンリックは、アウシュヴィッツの収容所で死と隣り合わせに生きていました。いつ死んでもおかしくない状況の中で、ただでもわずかしかない食べ物を、他人のために差し出したヘンリック。私が彼と同じ立場に立ったとき、果たして同じようにできたであろうか?
・・・そう考えると、今でも胸が痛くなります。
そしてヘンリックの「愛の行為」を願い、彼に囁きかけたのは、ヘンリックがパンを分け与えた男の身代わりになって死んだコルベ神父でした。

「愛の行為」・・・人間というのは他人を思いやり、他人のために何かをしようと思うとき、またそう思えるときというのは、自分の生活にある程度満足し、他人のことを思える心の余裕があるときではないでしょうか。ほとんどの人間がそうではないでしょうか。
私だったら、どうしただろうか? コルベ神父のようにはできなくても、ヘンリックと同じ「愛の行為」をできたであろうか?それとも、見て見ぬ振りをしたであろうか?
・・・その答えはきっと、一生出ないのかもしれません。

サチ子と修平
思い合っている二人なのに、どうしてサチ子と修平は結ばれることが出来なかったのだろう・・・。どうして、二人の運命はこんなに切なく、悲しいものでなければなかったのだろう・・・。二人の悲しい恋の結末に、私はやるせない気持ちでいっぱいになりました。

修平を思うサチ子の素直になれないところや、修平の一言一言に喜んだり悲しんだり不安になったりするところを、私はとても可愛らしいなと好感を持ちました。サチ子の一生懸命な思いがすごく伝わってきて、私自身もサチ子と一緒になってドキドキしたり切なくなったりしていました。なかなか修平に思いを伝えられなかったサチ子。そんなサチ子の思いを気付いていたのに、自分の運命にその思いを封印しなければならなかった修平。私はどうしても二人には幸せになって欲しかった。しかし、やっぱりその願いは叶いませんでした。

基督教信者であった修平は、小さい頃から「殺すなかれ」という教えを信条として生きてきました。そんな修平が兵隊として徴集され、戦地で他人を「殺す」ことを任されることになったのです。日本国民としての任務を果たすことと、「殺すなかれ」という基督教の教えを守り抜くことの狭間にもがき悩んだ修平は、最後に特攻隊に志願し、他人を「殺す」と同時に自らの「命」も絶つことを選びました。

もし、時代が違ったのなら、サチ子と修平は幸せになれたのではないでしょうか。そう思うと悲しくてたまらなくなります。でも、きっと二人はその時代に生まれ、その時代に出会い、その時代に愛し合ったことを後悔はしていないと思います。
どうして修平は特攻隊に自ら志願したのだろう。
志願しなければ、やがて終戦を迎え、サチ子と結ばれたかもしれないのに・・・。もし本当に修平がサチ子を愛していたのなら、サチ子のためにも「生きる」ことを選んだのではないだろうか・・・そう思えて仕方ありません。でも、きっと修平には修平の「愛の形」があったのでしょう。今の私にはそれがまだ理解することはできないけれど、この先幾度かこの本を読み返すうちに修平の選んだ「運命」というものを理解することができる時がくるのかもしれません。

サチ子、修平、コルベ神父、ヘンリック・・・
彼らは戦渦の時代に生き、過酷な「運命」に苦しみました。
でも、そんな「運命」の中でも、彼らは自分の道を自分で決め、自分の一生を全うしたと思います。人間はどんな「運命」に翻弄されそうになっても、最後まで自分でどう生きるか、どう死んでいくかを決める権利があります。この本は、私に「ただ生きる」のではなく「どう生きる」のかを考えることの大切さを改めて考えさせてくれました。

これからの私の「人生」・・・自分なりにたくさんの『愛の行為』ができるよう、「私の一生」を一日一日大切に生きていきたい。この本に出会い、そう強く思いました。



深い河

遠藤さんの作品はこれまで『海と毒薬』しか読んだことがなかったのですが、ちょうど家にこの本があったので、どんな本なのだろうと興味本位で読み始めました。

読み始めてすぐ、私はこの「深い河」の本の中に引き込まれていきました。
5人の登場人物それぞれがインドを訪問するまでの経緯や、何を求めてきたかが、とても繊細に描かれていて、私自身5人一人一人の世界に吸い込まれてしまいました。

私はインドという国も、キリスト教という宗教も、あまり良く知りません。でも、この本を読んで、日本とインドの信仰の厚さの差や、文化の違いにとてもショックを受けました。

インド人が神を求めてガンジス河にやって来る、そしてそこに自分の骨を流す・・・
そしてその死体の灰の流れる河で人々は沐浴をし、口をすすぎ、祈りつづける・・・
私自身無宗教だし、心から信じつづけているものもありません。日本人のほとんどがそうでしょう。
でも彼らは違う。自分の人生をかけて神を信じ、神を求めている。
私は、ガンジス河に集まるそんな人々の姿に心が痛くなりました。

「人生」とは「人が生きる」と書くように、どんな人でも生きている限りその人の「人生」があります。「深い河」とは一人一人の「人生」でもあり、「人生の意味」を求めるためにみんな「深い河」を求めているのだと思いました。

この本を読み終えた後、胸が熱くなりました。
むらさきさんがこの本を好きだという理由が分かったような気がします。

私は初めて、本を読んでもう一度読み返したいと思いました。
私は今まで、映画を観て自分の生き方について考えさせられたことはありましたが、本では初めてでした。遠藤周作の本が案外読みやすかったことも意外でした。

是非、この「深い河」をたくさんの人に読んで欲しいです。きっと、何かしら自分にプラスになると思います。